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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)16813号 判決

原告 アルプス・カワムラ株式会社

右代表者代表取締役 河村浩延

右訴訟代理人弁護士 近藤博

同 近藤與一

同 近藤誠

被告 タチバナエステート株式会社

右代表者代表取締役 橘憲正

右訴訟代理人弁護士 篠崎芳明

同 角田雅彦

同 齋藤忠治

同 小川秀次

主文

1. 原告の請求をいずれも棄却する。

2. 訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告

1. 被告は、原告に対し、二億一六八三万三八四八円(第二次的には五三五二万五〇七三円、第三次的には三七三三万八四八〇円、第四次的には五九四万〇六五三円)及びこれに対する昭和六四年一月七日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

2. 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二、被告

主文と同旨の判決を求める。

第二、当事者の主張

一、原告の請求の原因

1. (売買契約の成立)

原告は、昭和六三年八月、国土利用計画法二七条の二の規定にいわゆる監視区域に所在し、同法二三条一項の規定によってその売買等については墨田区長に対する届出を必要とする原告所有の別紙物件目録記載の各土地及び同目録記載の各建物(これらの土地、建物を併せて以下「本件不動産」、同目録記載の本件土地一ないし三を併せて以下「本件土地」という。)を被告に売り渡すこととし、原告の委託にかかる宅地建物取引業者の訴外河村産業株式会社と被告の委託にかかる宅地建物取引業者の訴外朝日産業株式会社との媒介によって、被告との間において、売買条件等について交渉を重ねたうえで、(一) 売買代金については、土地三・三平方メートル当たり六五〇万円(本件土地一及び二につき合計九億六三二八万〇六三〇円、本件土地三につき九億四五三八万七八五〇円)、建物三・三平方メートル当たり三〇万円(本件建物一につき一億三一九〇万円、本件建物二につき一億二七七七万円)の合計二一億六八三三万八四八〇円とし、墨田区長が国土利用計画法二四条一項の規定に基づいて本件土地の売買代金額の引き下げを勧告したときは、その勧告額によるものとすること、(二) 原、被告は、国土利用計画法二四条一項の規定に基づく墨田区長の勧告又は同条三項の規定に基づく不勧告の通知を受けた日から一〇日後に売買契約書を作成し、被告は、原告に対して、手付金として売買代金の一割に相当する金額を支払うものとすること、(三) 被告は、原告に対して、昭和六三年一〇月末日限り、本件不動産一の引渡し及び所有権移転登記を受けるのと引き換えにその残代金を支払い、同年一二月末日限り、本件不動産二の引渡し及び所有権移転登記を受けるのと引き換えにその残代金を支払うものとすることとの合意をみて、被告は、同年八月二五日、「国土利用計画法指導価格により本件不動産を買い付けることを証明する。」との記載のある買付証明書を作成して原告に交付し、原告も、右同日、「売買価格を国土利用計画法の許可によるものとして(土地三・三平方メートル当たり六五〇万円、建物三・三平方メートル当たり三〇万円)、本件不動産を被告に売却することを証明する。」との趣旨の記載のある売却証明書を作成して原告に交付した。

そして、原告及び被告は、昭和六三年八月三一日、墨田区長に対して、本件土地の売買契約につき、前記合意による代金額等の所要事項を記載した土地売買等届出書を作成して、国土利用計画法二三条一項の規定に基づく届出をしたところ、墨田区長は、昭和六三年九月二七日、原告及び被告に対して、国土利用計画法二四条三項の規定に基づく不勧告の通知をした。

2. (被告の債務不履行)

ところが、被告は、前記の事実関係をもっては未だ本件不動産の売買契約の成立をみたものではないとして、前記不勧告の通知を受けた日から一〇日を経過しても、約定どおり売買契約書を作成せず、手付金も支払わなかった。

そこで、原告は、昭和六三年一〇月二五日に到達した書面により、被告に対して、七日以内に売買契約書の作成、手付金の支払い等をなすべきことを催告するとともに、右催告期間を徒過したときは本件不動産の売買契約を解除する旨の意思表示をしたが、被告は、これに応じなかった。

3. (本件不動産の第三者への売却等)

そして、原告は、他の買受希望者に本件不動産を売却するべく、原告が新たに国土利用計画法二三条一項の規定に基づく届出をすることができるようにするため、被告に対して本件不動産についての原、被告間の売買契約が不調となった旨の土地売買契約等状況報告書を速やかに墨田区長に提出するように求めたが、これに応じなかったので、原告は、同年一一月一日に自らこれを提出したうえ、昭和六三年一一月一六日、訴外三浦印刷株式会社に対して、本件不動産一を代金合計一〇億九〇〇〇万円で売り渡して、同日手付金として二億一八〇〇万円の支払いを受け、平成元年一月三一日に残金八億七二〇〇万円の支払いを受け、昭和六三年一二月一日、訴外アメリカンジャケット株式会社に対して、本件不動産二を代金合計一〇億五〇〇〇万円で売り渡し、同日手付金として一億〇五〇〇万円の支払いを受け、平成元年一月三一日に残金九億四五〇〇万円の支払いを受けた。

4. (原告の本訴請求)

(一)  本件不動産の売買契約に際してなされた売買代金の一割に相当する金額の手付金を支払う旨の合意は、債務不履行による損害賠償額の予定の趣旨を併せ持つものであるから、原告は、第一次的請求として、被告に対し、債務不履行による損害賠償として、本件不動産の売買代金二一億六八三三万八四八〇円の一割相当額の二億一六八三万三八四八円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和六四年一月七日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(二)  被告が本件不動産の売買契約の約旨どおり履行していれば、原告は、被告から昭和六三年一〇月七日に二億一六八三万三八四八円、同月三一日に九億八五六六万二五六七円、同年一二月三一日に九億六五八四万二〇六五円の売買代金の支払いを受け、これを年六分の割合を下らない利回りで運用することができたのに、被告の債務不履行により本件契約を解除したため、前記のとおり本件不動産を第三者に売却してその代金を受領した時期及び額の範囲でしか運用利益を得ることができず、別紙計算表記載のとおり、二〇一八万六五九三円の得べかりし利益を喪失して、同額の損害を被った。

また、最近の不動産取引業界においては、ある届出価格で国土利用計画法二三条一項の規定に基づく届出がなされ、これについてひとたび不勧告の通知がなされると、その情報が広く伝えられて、以後は当該届出価格以下の代金額でなければ買い手が付かないのが実情であるが、原告は、被告の債務不履行によって、前記のような経緯のとおり、届出価格より二八三三万八四八〇円低額の二一億四〇〇〇万円で本件不動産を第三者に売却せざるを得なくなり、その差額二八三三万八四八〇円の得べかりし利益を喪失して、同額の損害を被った。

そして、原告が、被告の債務不履行によって被った精神的苦痛に対する慰藉料としては、五〇〇万円が相当である。

よって、原告は、第二次的請求として、被告に対し、債務不履行による損害賠償として、右損害合計額五三五二万五〇七三円及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和六四年一月七日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(三)  仮に原、被告間において本件不動産の売買契約が成立するに至っていないとしても、被告は、前記のとおり、原告と代金額等の売買契約の重要な内容について合意し、買付証明書を交付するなどして、原告に対して被告が本件不動産を買い受けることが確実なものと期待させるに至ったのであるから、原告の右期待を侵害しないように誠実に契約の成立に尽力すべき信義則上の義務があるにもかかわらず、被告は、なんら正当な理由なく、本件不動産の売買契約の締結を拒否したものであるから、被告は、契約締結上の過失のあるものとして、原告に対して、原告が期待的利益の侵害により被った損害を賠償すべき責任を負う。

よって、原告は、第三次的請求として、被告に対し、不法行為による損害賠償として、原、被告間において合意した売買代金額二一億六八三三万八四八〇円と第三者への売却価格二一億四〇〇〇万円との差額二八三三万八四八〇円及び原告が前記の一連の経緯で被告に対する信頼を裏切られたことにより被った精神的苦痛に対する慰藉料九〇〇万円の合計三七三三万八四八〇円及びこれに対する不法行為後の昭和六四年一月七日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(四)  また、原告は、被告が前記のとおり墨田区長に対して本件不動産についての原、被告間の売買契約が不調となった旨の土地売買契約等状況報告書を提出しなかったので、やむなく昭和六三年一一月一日に自らこれを提出したうえ、本件不動産を第三者に売却したのであるが、被告が速やかに右土地売買契約等状況報告書を提出しなかったため、本件不動産の第三者への売却は少なくとも二〇日間は遅滞し、原告は、これによって本件不動産の売買代金二一億六八三三万八四八〇円の右の期間の年五分の割合による運用利益五九四万〇六五三円を喪失し、右同額の損害を被った。

よって、原告は、第四次的請求として、被告に対し、不法行為による損害賠償として、右損害五九四万〇六五三円及びこれに対する不法行為後の昭和六四年一月七日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、請求原因事実に対する被告の認否

1. 請求原因1の事実中、原告と被告とが本件不動産の売買条件等について原告の主張するような確定的な合意をしたことは否認し、その余の事実は認める。

本件不動産の売買契約は、交渉過程にあったもので、未だその成約をみていない。

2. 同2の事実は、認める。

3. 同3の事実中、被告が原告の求めに応じてその主張のような土地売買契約等状況報告書を墨田区長に提出しなかったことは認めるが、その余の事実は知らない。

第三、証拠関係〈省略〉

理由

一、原告が昭和六三年八月本件不動産を被告に売り渡すこととし、原、被告それぞれの委託にかかる宅地建物取引業者訴外河村産業株式会社及び同朝日産業株式会社の媒介によって原、被告間で売買条件等についての交渉が重ねられたこと、原告及び被告が同月二五日原告主張のような記載のある買付証明書及び売渡証明書をそれぞれ作成して授受し、同月三一日に墨田区長に対して本件土地の売買契約につき原告主張のような代金額等の所要事項を記載した土地売買等届出書を作成して国土利用計画法二三条一項の規定に基づく届出をし、墨田区長が同年九月二七日に原告及び被告に対して国土利用計画法二四条三項の規定に基づく不勧告の通知をしたことの各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二、そして、右事実に〈証拠〉(ただし、いずれも後記の認定に反する部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次のとおりの事実経過を認めることができる。

1. 原告は、昭和六三年八月頃、資産の売却による経営の合理化等のため、本件不動産を売却する意向を有し、宅地建物取引業者の訴外河村産業株式会社の従業員平岡淳司等を介してその買い手を探していたところ、同業の訴外朝日産業株式会社の専務取締役上田一博は、原告の右意向を聞き及び、同月一九日頃までに、自社倉庫用の土地、建物を物色していた被告に対して本件不動産を紹介し、その頃以降、主として原告の委託にかかる訴外河村産業株式会社と被告の委託にかかる訴外朝日産業株式会社との媒介によって、原、被告間の本件不動産売買に関する交渉が行われた。

2. 原告は、当初、本件不動産を合計二四億円程度で売却したい意向を持っていたが、被告の意向を容れて、売買代金額を土地三・三平方メートル当たり六五〇万円、建物三・三平方メートル当たり三〇万円、合計二一億六八三三万八四八〇円とすることを提案し、被告は、本件土地の代金額を三・三平方メートル当たり六〇〇万円程度としたい意向を持ってはいたものの、本件土地が国土利用計画法二七条の二の規定にいわゆる監視区域に所在し、その売買等については同法二三条一項の規定に基づく墨田区長に対する届出を必要とするものであったところから、差し当たって、原告の提案額で墨田区長に対する右届出をすることとし、同年八月二四日頃、その旨を原告に伝え、同月二五日、介在した前記両宅地建物取引業者の求めに応じて、「国土利用計画法指導価格により本件不動産を買い付けることを証明する。」との記載のある買付証明書を作成して原告に交付するとともに、原告から「売買価格を国土利用計画法の許可によるものとして(土地三・三平方メートル当たり六五〇万円、建物三・三平方メートル当たり三〇万円)、本件不動産を被告に売却することを証明する。」との趣旨の記載のある売却証明書の交付を受けた。

3. さらに、原告と被告は、同年八月二五日頃までに、前記両宅地建物取引業者を通じて、前記届出に対する墨田区長の勧告又は不勧告の通知を受けた後に細目につき協議したうえで売買契約書を作成すること、契約書作成時に手付金として売買代金の一割程度を授受すること、残代金全額を昭和六三年内に決済し、それと引き換えに本件不動産の所有権移転登記手続をすることなどについて概ね合意に達し、右同日、墨田区長に対して、本件土地の売買契約につき、前記の代金額等の所要事項を記載した土地売買等届出書を作成して、国土利用計画法二三条一項の規定に基づく届出をし、墨田区長は、同年九月二七日、原告及び被告に対して、国土利用計画法二四条三項の規定に基づく不勧告の通知をした。

4. 被告は、この間、訴外日本信託銀行株式会社に対して本件不動産の鑑定評価を依頼したが、同銀行は、同年九月二七日頃、その鑑定評価額を前記届出価格よりも二億円余り低額の一九億一二七〇万円とする鑑定評価書を作成して被告に提出し、さらに、被告は、その頃、取引銀行と本件不動産購入資金の融資相談をしたが、右銀行は被告の本件不動産購入について消極的な意見を述べるなどした。

被告は、右のような鑑定評価や意見に左右され、同年一〇月五日頃、訴外朝日産業株式会社を介し、原告に対して、本件不動産を前記届出価格よりも二億円低い額で買い受けたい旨申し入れたが、原告がこれに応じなかったので、本件不動産の購入を断念する意思を固め、同月七日頃、右訴外会社を通じてその旨を伝え、さらに、同月一九日に書面によりその旨を伝えた。

5. これを受けた原告は、同年一〇月二四日、被告に対して、本件不動産の売買契約の債務不履行による損害賠償金の支払いを求める書面を発する一方で、その頃から本件不動産の新たな買主を探すとともに、被告に対して、本件不動産についての原、被告間の売買契約が不調となった旨の土地売買契約等状況報告書を墨田区長に提出するよう求めたが、被告がこれに応じなかったので、同年一一月一日、右報告書を自ら提出したうえ、同月一六日に訴外三浦印刷株式会社に対して本件不動産一を、同年一二月一日に訴外アメリカンジャケット株式会社に対して本件不動産二を、それぞれ原告主張のとおりの代金額で売却した。

三、以上のような事実関係に照らして、先ず、本件不動産の売買契約の成否について検討すると、原告と被告は、買付証明書及び売却証明書を授受した昭和六三年八月二五日頃までに、本件不動産の主要な売買条件について概ね合意に達してはいたものの、細目についてはなお協議の余地を残し、これについては国土利用計画法二四条一項又は三項の規定に基づく墨田区長の勧告又は不勧告の通知を受けた後に協議を尽くして、後日これに基づいて売買契約書を作成することを当初から予定していたものであること、もともと、買付証明書又は売却(売渡)証明(承諾)書は、不動産取引業者が不動産取引に介在する場合において、仲介の受託者たる不動産取引業者の交渉を円滑に進めるため、委託者又は相手方が買付若しくは売渡しの意向を有することを明らかにする趣旨で作成されるのが通例であって、一般的にはそれが売買の申込又は承諾の確定的な意思表示であるとは考えられていないこと(甲第三号証によれば、原告が作成して被告に交付した前記の売却証明書には、「本証の有効期限は昭和六三年一〇月三一日までとする。」との記載があることを認めることができ、それが右にみたような通常の例に漏れないものであることを窺わせる。)、さらに、本件土地は、国土利用計画法二七条の二の規定にいわゆる監視区域に所在し、その売買等については同法二三条一項の規定に基づく墨田区長に対する届出を必要とするものであって、右の届出をしないで本件土地の売買契約を締結し又はその予約をした者に対しては同法四七条一号の定める罰則の適用があるものであることなどに照らすと、本件不動産の売買条件等をめぐる原、被告間の口頭によるやりとりや前記の買付証明書及び売却証明書の授受は、当時における原告又は被告の当該条件による売渡し又は買付の単なる意向の表明であるか、その時点の当事者間における交渉の一応の結果を確認的に書面化したものに過ぎないものと解するのが相当であって、これを本件不動産の売買契約の確定的な申込又は承諾の意思表示であるとすることはできないものというべきであるし、前項に認定した事実関係をもっては未だ原、被告間において本件不動産の売買契約の成約をみたことを認めるには足りず、他にはこれを認めるに足りる証拠はない。

したがって、右売買契約が成立したことを前提として債務不履行による損害賠償を求める原告の第一次的請求及び第二次的請求は、いずれも理由がない。

また、原告は、被告が契約締結の過程において信義則に違反し又はその所為が不法行為を構成すると主張するけれども、先に認定したとおりの本件不動産の売買契約の締結交渉の一連の過程における被告の所為は、契約締結の交渉過程における諾否の意思決定の場面における対応として取引通念上許容される範囲を逸脱するものとはいえず、そこに信義則に違反して原告の期待的利益を不当に侵害したとか、他の取引希望者との交渉、契約締結の可能性を不当に制約したものと目すべき点を見いだすことはできず、それが不法行為を構成するものというべき余地もないから、不法行為による損害賠償を求める原告の第三次的請求及び第四次的請求も、いずれも失当である。

四、以上のとおりであるから、原告の本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上敬一 裁判官 小原春夫 徳田園恵)

〈以下省略〉

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